ぷんぷん

大学でのジェンダーに関するストレスが溜まりに溜まりました。

 

 

 

そもそも僕のジェンダー(性自認)はというと「(故意)クエスチョニング」。

とてもよくわからない。

僕自身もどういう名乗り方をしたら良いのか全くわからず、とりあえずの名前。

以下、僕のジェンダーのことをわかっている人は読み飛ばしてください。

 

端的に説明するならば、

“男でも女でもその中間でも無性でも流動的であるわけでもなく、性別という括りに縛られないジェンダー”です。

よく知りたいと思ってくれた人は「Xジェンダーエスチョニング 違い」などで検索をかけてください。

(調べた人へ。僕は基本的なクエスチョニング「①迷い中、②どれもしっくりこない、③性別で括られたくない」のうち②③に当てはまります。「Xジェンダーの無性」との違いはややこしいがすぎるので割愛します。)

 

僕のジェンダーの話、終わり。

読み飛ばした人は帰ってきてください。

 

 

主なストレス事案

・教員が男女で二人称を「彼(氏)/彼女」に分けて用いている。僕に対して「彼女」という二人称を用いる。ほぼ毎日その扱いを受ける

・トイレと更衣(仕方ない)

・体育が男女別

・入学時アンケートの性別回答欄に男女しかない

 

そして今日、学生課の初対面職員二名から苗字ちゃん付けで呼ばれる。

 

 

 

 

僕のことをよく知らない人や、カミングアウト済の人でも、配慮して関わるのってものすごく難しいことだと思うし、配慮するかどうかもその人の自由だと思う。


それに加えて、

こっち側の人間としては、もちろん目の前の人と関わるときに“この人はどんなジェンダーなのか”、“どういう扱いを不愉快に感じる恐れがあるか”を考えて接する。ほぼ無意識で。
でも、ストレートの人や、身近にそういう人がいたことがない人って、ジェンダー差別や理解・知識の有無にかかわらずそういう振る舞いが難しい。なんなら、所謂LGBTQに含まれる人だって、自身とは異なるジェンダーの人への配慮は難しい。

 

気付かない人もいるし、有難いことに配慮してくれる人もいる。その人でもどこかで間違えてしまうことがある。
そりゃあそう。
みんなは普段、当たり前のように、無意識に、相手をできるだけ不快にさせないようにコミュケーションをとっているだろう。言ってみれば「配慮」だけれど、「配慮」と考えてすらいない「無意識下の配慮」。

(配慮という言葉を使うことにすら違和感がある。そんなに誠実でわざとらしいことか?)

 

その「無意識で行うこと」に新たな項目を増やすことは凄く大変だろう。僕だって急に言われてもできない。配慮したくたって。

 

そう思うから、あからさまな差別でもなければ、もうそういうことで怒ったり傷付いたりはしなくなった。(嘘、積もり積もると嫌になる)

じゃあなんで今回の一件でここまで長ったらしい愚痴を吐いているかと言うと、

大学側が「LGBTQについて知りましょう」「セクハラやモラハラになる言動に気をつけましょう。もしあなたが受けたら相談してください」と謳っているから。それで副学長も職員もあの体たらくでは言葉だけと言わざるを得ないから。

 

以上、ぷんぷん。

 

 

 

勿論、みんなが前述のようなこと(目の前の人云々)を当たり前のように考えてコミュケーションをとる社会になるべきなのではないかとは思う。

皆様、宜しければ実践して見てください。誰かが救われるかもしれない。

誰かを救うべきであるわけではないし、救わなければ悪いわけでもないし、救ったところで恐らく救ったことを認知はできないだろうけど。

 

結局言いたかったことはこれかもしれない。